高齢者も障害者もひとりの人間だ。


自分の気持ちすら分からない時もあるのに、他の人の気持ちなんて分かりっこない。だから知りたい。近付きたい。

 

ただ高齢者や障害者の場合、表現することもこちらが気持ちを受け取ることも難しい。

それでもその方やご家族との交流やその方のバックボーンから学んでいけたならいいなと私は思っている。


全員を理解することは出来ない、でも気持ちを受容することはできる。

 

「私はあなたを分かっている」なんて烏滸がましい勘違いは絶対にしたくはない。

資格

私は介護施設で働いている。大学を出て高齢者施設に3年と8ヶ月。

今は転職して障害者施設で働いている。

 

この仕事は楽しい。高齢者の時は夜勤があり、激務だった為最後は体調を考えての退職であったが、それでも彼処での仕事はとても楽しかったと今でも思える。

なんせ毎日毎秒笑っていられるのだ、パソコンを前にした仕事ではこうはいくまい。

大先輩たちを相手にした仕事は理不尽なことも多かったが学びも多く、また機会があったら戻りたいと感じている。

 

もちろん今の障害者を相手にした仕事も楽しい。

初めは「高齢者の時ほど意思疎通が取れる方も少なく、作業のようになってしまうのではないか」と思ったが1週間もしないうちに見えてきたものがあった。

 

高齢者も障害者もやはり同じひとりの人間なのだということ。

言葉を声に乗せられなくても、声色や表情はしっかり感情を乗せている。

 

それに気付いてからは今の職場も好きになれた。私は介護福祉士として働いていけると思う。

働いていけるとは思う。

 

しかし、私はこの世界で働いていいのだろうか。

 

私には障害者の兄がいた。

もう亡くなって長い時間が過ぎている。

というと、多くの人は「この子は兄のことがあって介護の世界に来た、優しい子だ」と勘違いをしてくれることがある。

 

だが本当は少し違う。

私は兄が亡くなった時、ひどく安堵したのだ。「両親が亡くなったら、誰が兄を守っていくんだろう」「私にはもう1人兄がいるが、2人で障害者の兄を支えていくことになるんだろうか」

 

兄が生きている間、私はずっとそんなことを考えていた。兄を重荷としか見られていなかったのである。

「私が結婚したら結婚相手にも兄を背負わせることになるのか」などと、あるかどうかも分からないことまで考え、勝手に胃を痛めていたのだ。

 

 

そんな私でも仕事として介護に入ると、利用者やご家族からの評判は良い。

それはそれで良いことだと思う。

だがそんな時いつも引っかかるのだ。

「後悔で介護の世界にいる私が。障害者の兄を邪険にしていた私が。この世界にいていいのだろうか」

この世界にいるほど、昔の自分の行為がどんなに残酷なものだったか。知ってしまう、理解してしまう。

 

今の私なら、あの頃の兄をひとりの人間として接することが出来たのだろうか。

もしかしたら。

そんな仮定のような言い訳が無駄に増えた。

 

今は兄への罪滅ぼしの気持ちも強い、これはあっても良い気持ちなのか。

そんなことを最近考える。